宗教について、というより価値観の違いについて

雑談・独り言

何かと宗教について、ニュースや記事を見ます。

批評は、頭のいい人しかできないような風潮です。

意見を述べれば、ネットに人たちが、自分の持っている知識や、頭の良さを使って論破しようとします。

とてもつまらないことだと思います。

5歳児が意見を言ってもいいじゃないですか。

宗教にいる人、いない人、双方の気持ちは正直わかりません。

私は宗教に入っていませんが、入信しろ、と言われれば戸惑うでしょう。

わからないので、身近なことで、「想像」してみました。

マスクです。

世の中には、二つのタイプがいます。

宗教に入っている人、宗教に入っていない人です。

どちらでもない人も合わせれば、中間の人、三つのタイプとします。

マスクの効果を頑なに信じる人、マスクは不潔だと一切しない人、

どちらでもない人と、と三つのタイプがいるとします。

マスクは不潔、不健康になるとエビデンスという英語を使って、どんな場所でもマスクをしない人がいます。

この人たちと話すと流行りの「陰謀論」とかやたら詳しいので、私にとっては、ちょっと怖いので、独断で、こちらの人を、「マスクしない教」という宗教にしましょう。

この辺で、想像できてきたのではないでしょうか?

周りにやたらマスクをしない人いませんか?

彼らは頭がいいです。

また信念も強いです。

彼らを、「マスクしない教」から脱会させるのってめちゃくちゃ難しいと感じませんか?

私には無理だと思います。

頭が良くて、どこから得たのかエビデンスをやたら振り回し、マスクは悪だとやたら言ってきて、マスクをするとあなたたちは不幸になるよ、と言ってきます。

頭がいいのです。

私個人の考えは、執拗なマスクの着用は、健康を害すると思っています。

なので、あまりつけません、が、公共の場に行った時は、します。

郷にいれば郷に従え、という言葉があります。

マナーは人間が決めたものです。

日本で、マスクを着用するのは、マナーだと人間が決めているのです。

頑なにマスクをしないなんてことはしません。

逆に「マスクを絶対する教」という宗教という逆の観点にしても一緒です。

結局、人は、正しいか正しくないかではなく、ある意味「洗脳」されているのです。

私は、どちらにもどのような考え方にでも、フラットに、ニュートラルでありたいので、いつもその訓練をしています。

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